切断と結合、分裂と統一





「24時間が1日である」という感覚で時間というものをそんなに捉えようとしていないせいか、instagramなども私の中の「その時」が「投稿する時」 という感じであり、もしかすると常識の外になってしまっている時もあるのかもしれないと思い、申し訳なく感じてしまう夜で、同時にそんなふうに思う自分があまりすきではなかった。






本は好きだが、ほんとうに読書が好きな方々と比較すると、自分の場合は偏りがあると思う。
ひとつ疑問点が浮上するたびに納得行くまで熟考してしまうため、全然時間が足りない。いつも思うのは、自分が自分をつかれさせているということ。常に自分に追われている。
周囲から見れば時間があると思われているのかもしれないが、私自身は足りなくてすこし困っているくらいである。
そして、私の中のそれらについて解決しなくては、「生きる」ができないため、もうどうしようもないのだ。とほほ。


今日はまたひとつ、わたしの中でさらに纏まったと感じるものがあった。
今までじぶんのなかで「影」だと思っていたものが、実は「光」のなかの一つに過ぎなかった。なのでそれを許すことで、つぎへ進めるのかもしれない、となった。
「生きる写真」と、「生きていない写真」と、今までは自分の中で分列していたのだが、「生きてない写真」と思ってきたそれは、実は「生きる写真」であった、ということが分かった。


結局、「生きる写真」も「生きていない(と感じていた)写真」も、両方「生きる写真」であったのだ。今後、双方はさらに混在し、纏まって行くような気もしている。そして一つの世界が成されたとき、それがきっと「私」であるのかもしれない、と。













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